鯉のぼりは無病息災を願って、五月晴れの空に泳がせる願掛けの一つになります。強い風にたなびく姿は初夏を迎えた季節の風物詩であり、現代ではゴールデンウィークの訪れを感じさせてくれるアイテムです。しかし本来の意味は前述したように、健やかなる成長を込めて親族が送るエールのような意味合いになります。
七五三の詣記念幟にも似たような意味が込められており、対象を信仰する神社としているのが特徴です。正しく七五三を迎える年に参り、これまでの成長への感謝と末永い幸せを願いながら奉納します。神社の境内には名前が記載されたのぼり旗がたなびき、その数だけ親族の願いが込められているのと同義なのです。
日本人は多神教の文化を持っており、お米の一粒にも神様が鎮座すると信仰心を持っておりました。現在でも神仏を同時に崇拝し、そして国津神や天津神を敬うなど信仰ではなく文化として見えざる畏敬を感じることが身に付いているのです。
七五三もその儀式の一つであり、詣記念幟のぼり旗は文化と親交を融合する一つの交差点であると言っても過言ではありません。五月にたなびく鯉のぼりが形を変化させたのが、神社にあるのぼり旗なのです。
のぼり旗の役割について
有名監督が描いた合戦で有名な時代劇は、本物の馬を使って両軍が入り乱れて戦を行います。リアリティを大切にした監督だったので、出演者は皆馬に乗る訓練を行い、撮影時には実際に騎馬をして甲冑を身に付けて、実戦さながらに演技をしたそうです。
甲冑や日本刀などの小道具だけではなく、両軍を象徴しているのはのぼり旗でした。色違い柄違いの物が用意されて、足軽が手にしていたり陣地に立てかけられて威勢を誇っていたのです。家名やシンボルを現わしたのぼり旗は、領地と同じだけその大名の威光を体現するには最適なアイテムでした。だからこそ後に徳川の世の中になった時には、葵のご紋の前では平身低頭で平伏することが習わしになったのです。
上記のような理由から旗というのは家名や運命を備えた特別な物として、日本では重宝されてきた歴史があります。今でも例えば選挙演説の際に使われたり、企業がPRで使うなど文化の片鱗は継承されてきているのです。
合戦さながらの命がけの旗ではないものの、企業の命運を握ったり、時には国政を左右するなど役割は決して小さくはありません。時代劇を見ながら合戦へ望む武士の姿を見てみることも、日本人のアイデンティティに触れるいい機会かもしれません。